残念ながら この舞台は周りが閉じられていたので 中は見えませんでした
説明板によりますと
下谷上農村歌舞伎舞台
この舞台は 江戸時代末の天保十一年(一八四〇)に建てられた村芝居の舞台である
江戸時代には 原則として 農民が芝居を観たり演じたりすることは禁じられていたが
実際には このような歌舞伎舞台が各地に建てられ 農民達は歌舞伎を楽しんでいた
現存する舞台は 全国で約二千棟 兵庫県下で約一七〇棟ばかりである
この舞台の特色は 次のような点にあり 全国屈指の歌舞伎舞台として
国指定の重要有形民俗文化財に指定されている
一、江戸時代末の建立で 舞台建築としては古いこと
二、規模が雄大であること(間口十二メートル 奥行 八メートル)
三、花道・太夫座・廻り舞台・二重台・大迫り・ぶどう棚など 多種の舞台機構を
備えていること
四、花道の一部が回転して 反り橋が出る特殊機構があること(全国唯一)
五、神社境内の付属建造物である長床(宮座行事の建物)の
利用舞台としての典型であること
なお この舞台は昭和五十二年(一九七七)一月に 不審火で焼損したが
同五十四年(一九七九)九月に修復された
神戸市教育委員会
こちらは上谷上にある天満神社にある農村歌舞伎舞台です
ここから入っていくと 正面が神社の本殿です
入り口を入った左右には 色々の道具が置かれています
舞台下の奈落に入っていくのでしょうか?
本殿から見た 舞台の全景です
説明板によりますと
県指定文化財 上谷上農村舞台
指定年月日 昭和四46年4月1日
所有者・管理者 上谷上農村歌舞伎舞台保存会
江戸末期から明治にかけて 農村歌舞伎が全国的に流行し
山田町でも十三ヶ村に十四棟もあった
茅葺入母屋造平屋、正面11.07メートル、側面7.40メートルである
この舞台は文久3年(1863)に建てられたと推定され
割拝殿形式で 建物の中央が参道になっている
舞台として用いる時には床を張り 花道は分解式で左横斜めにつけられている
床下の石壁造りの奈落は 楽屋になっている
この舞台の特徴は上演のとき 床机四台をつないで 廻り舞台にしていることである
平成4年11月
兵庫県教育委員会
また入り口に石碑が建っていて
この舞台は 文久三年(一八六三)に建てられた
割拝殿型式の農村歌舞伎舞台である
特色は 奈落を設けながら「床机回し」という上回し式回り舞台を有する点にある
明治の初めには ここで「宮討座」という座を組んで 興行に出かけている
県指定昭和四十六年四月一日(文 名生昭作)
昭和五十四年上谷上農村歌舞伎舞台保存会
会長 高田泰治
どちらの舞台も お芝居をしているところを 見てみたいものです
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