高知城天守閣資料館にいた狛犬さんです
「尾戸焼」だそうですが
そもそも尾戸焼とは なんでしょうか?
傍にあった説明板によりますと
尾戸焼(おどやき)は承応2(1653)年、2代藩主忠義が大坂高津の陶工久野正伯を招き、
高知城北麓の尾戸(現高知市小津町)に
窯を開いた事に始まる藩窯である。尾戸焼の
基礎を築いた正伯は、5年ほどのちの
明暦4(1658)に土佐を去ったが、
その技術は森田九右衛門、山崎平内の二人の
門弟に継承された。尾戸焼は主として茶器や花器、
香炉や置物などの美術品を多く焼き、歴代藩主の
贈答品として珍重された。
文政3(1820)年能茶山に新たに窯が
創設されると、尾戸での操業は差し止めとなり、
文政5(1822)年窯を能茶山に移転し
創作を続けた。明治に入り藩窯が停止されると
民営となり、森田・山崎両家は独立して
窯元となった。一時期衰退したこともあったが、
明治年間は8代森田潤が尾戸焼の復興に努め、
市原峴山、西和田久三朗、土居栄作らが
手腕を発揮した。大正から昭和にかけては、
中島空哉や中西宋晋、川田蘭山、中川半九らが
活躍した。現在、土居焼と谷焼があり、
また森田家も家業を再興し、尾戸焼の
伝統を伝えている。
そうです
しかし 良い顔してますでしょう
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