2008年1月14日月曜日

阪神大震災から早13年

先日水仙の花を見かけました
 昔は水仙の花は好きだったのですが 最近では震災を思い出す悲しい花になりました
あの日から もう十三年も経ったなんて・・・・・

下記の話は他の場所で書いた話なのですが 
 どうしてももう一度 載せてみたくなりました
私の阪神大震災体験記です


何の被害も無かった(家族が全員 かすり傷も負ってなかったので)
 私でさえ 少しの振動にビビリまくり 水仙の花に悲しみを覚え
  震災時は 花の無い時期だったので よく水仙の花が供えられていたんです

小さな木切れに 傍にあった石ででも書いたような
 「ここに○○が まだ埋まっています」とか
 「ここで××が 亡くなりました」
    その横に 水仙の花が・・・・・・・・

そのとき住んでいたマンションの傍の家も全壊
 今では その家があった場所も定かでは無くなりました
歩いていると その家があったのが 嘘のような気がします

鉄筋コンクリートのマンション住まいでしたから
 家具は倒れ 食器は壊れ でしたが家そのものは 大丈夫だったんです
    少なくとも室内はね
だから まさか古い日本家屋が ペシャンコになってるなんて
 その時は考えもしませんでしたから

家がね 真ん中から 半分に裂けてるんです
 それを見ても 私の頭は 理解不能!
「この家・・・・・????????」
誰かが 屋根に手を掛け 左右に引っ張ったみたい
  “V”の字型に 裂けてるんですから
普通 そんな状態にはならないでしょう
 
常識を飛び越えてしまった状態に会うと 脳みそ君思考停止状態に
  なってしまうんですね
「ゴジラの襲来?? 撮影???」
後で考えると 馬鹿な話ですが その時はそんなことを つい思ってしまったんですよ
それくらい 信じられない状況だったんです


私は 阪神大震災のとき 神戸市東灘区に 住んでいました
我が家は 被害をこうむっていません
 なぜなら 家具食器は 壊れても
   家族全員 かすり傷も負ってないからです

いろんな方が 震災の経験を 著していらっしゃいますが
 私流 「震災の記あれこれ」を 書いてみようかなと・・・・
参考になることが あるやも知れませんので

まず 我が家の家族は 主人 息子二人 私の4人家族です
10階建てマンションの 8階に住んでいました

何時ごろでしょう
「ゴーーーー」と言う 地鳴りの音に 目が覚めました
地鳴りなんて 今まで聞いたことも無いのに
 「地鳴り! 地震!」寝ぼけ眼で そう思ったのは なぜ?
    (これだけは いまだに 謎です)
「地震!」って思った瞬間     ぐらっ

私が知っている揺れはここまで
        後は 音の記憶だけ
それと左右にあった本棚の本が いっせいに体の上に・・・・
 「ん?私 本にうずもれて 死ぬ?」なんて
    のんきなこと 考えていました

説明するのに 困りますが
 ガシャン×1億+ドシャン×一億+パリン+ガチャンです
パリンとガチャンは コップや食器の割れた音
  後の「ガシャン×1億+ドシャン×一億」は
    その時は 判りませんでした

建物本体に 渡り廊下がありその先に 
       小さな一棟の8階建てがありました

そのコンクリート製の 渡り廊下が落下した音だったんです
 本体側から 切り離したように 小さな棟にぶら下がってるんです
そしてその棟は 廊下とは 反対方向に傾いて
 落下した廊下とバランスをとって ひっくり返らずに済んでいました

私の震災は 音に始まり音で終わりました
  ベランダのブラインドが きっちり閉まり 部屋の中は真っ暗
手のひらを 目の前にかざしても見えません

起き上がろう でも 起き上がれない どうしよう?
  布団の中を もそもそはって ともかく 立ち上がれるところまで進みました
 その間 主人が「おーい!大丈夫か?」の声
    私 真っ暗で分けわかんない状態
(大丈夫かどうか 真っ暗で わかるかぁ)と私の心の声

入り口の邪魔者を ともかく力任せに 押しのけやっと部屋の外へ

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