家にいても ガス 水道 電気等全てのライフラインが使用出来ません
後で知ったことですが
地震が収まってすぐ 管理人さんが全て元を切ったそうです
ベランダから 外を見ると すぐそばに小学校があり
朝 明るくなると ぞくぞくと 校庭に集まっている人々がいます
最初は 校庭の地面の上に
布団を引いて横になっている人が・・・・
私たちも 午後3時ごろ 小学校に避難することにしました
大きなリュックに 夏布団を全て入れ
とりあえず 私が一番に出発しました
小学校の中に入ると 廊下にまで布団を引いています
もちろん教室の中は 満員
これは困ったと思いながら歩いていると
「放送室」
小中学校と 放送委員をしていた私には懐かしい場所!
戸のガラスの端が 少し欠けていたので 覗きこみました
もちろん 棚は倒れ すごい有様
でも よく見ると 倒れた棚の向こう側
窓の傍に空いたところが・・・・・
部屋の中に入り 倒れた棚を乗り越え 窓の所まで行くと
3畳分くらいの隙間が ありました
ラッキー!
教室用においてある 箒で軽く掃除
邪魔なものは 棚の下に 蹴り込み 失礼 片付け
大人4人が 寝るには十分な 場所が確保出来ました
あとから 主人と下の息子が・・・
この 放送室と言う選択 ベリーグッ!でした
入り口入ってすぐは 畳一帖ほどの隙間しかありません
真ん中は 倒れた棚 唯一残っている隙間は
我が家が 占拠!
要するに 個室状態なんです
主人たちに 留守番をさせ 私は他のものを取りに家に戻りました
階段で 8階まで
「とことことこ フー とことことこ フー」を繰り返してね
ようやく 8階にたどり着き 残っていた食パン 梅干 味付け海苔
ろうそく等 思いつくままに リュックにつめ また下まで降りました
部屋の外の廊下 隙間を詰めていた コーキング剤がはずれ
下までストーンと丸見え
そこはほんの数センチなんですが 崩れそうで ちょっとスリル!
学校に帰ると 食糧配給の連絡
とりあえず 校庭に並んでいると 渡されたのは 小さなおにぎりが3個入ったパック
しかも それを2軒で分けるように・・・・・
2個をパックに入れたまま 隣の若い女性に渡し
1個を つまんで 部屋に帰り 息子に
「口開けて」
「なんやこれ?」
「食糧配給 終了!」
しかし 落ち着いているつもり 普段どおりだと 自分では思っていましたが
やはり 精神はHIになってたんですね
空腹を感じないんです 何日間かろくに 食べなくても
誰ですか!普段のたくわえが すごいからって言うのは
んーーーまぁ それもあるかも・・・・
する事も無く 時間だけが過ぎ ラジオは聞いていましたが
流れるニュースに代わり映えは無し・・・
夜になり下の息子をお供に 散歩開始
古いアパートの一階が潰れ 二階が道路に飛び出し通れないところがありました
国道(2号線)では 長距離トラックが 何台も渋滞中
まさか 43号線が崩れて走れなくなってるなんて その時はわかりませんでしてから
「ぎょうさん 車が並んでるねぇ」
国道沿いの 入院施設のある病院が 崩れ 道路にはみだした瓦礫を
サーチライトで照らしながら 排除作業中
酒屋の前に ダンボールが落ちているのを お土産に学校へ
どうして ダンボールがお土産か わかりますか??
ダンボールとか紙はすぐれた 断熱材なんですよ
避難した放送室は 薄いけれど絨毯がひいてありました
放送中音がしないようにでしょうね
でも その下は コンクリート 冷えが染みとおってきます
でも ダンボールをひくと 暖かーーーい!
お兄ちゃんが
「避難所に行くなら メモ残しといてくれ!どこいったか探した」と
文句ブーブーで現れ 無事家族集合!
これで 我が家の震災は終了!
どんな所 どんな時でも 家族が無事で 暖かく寝られたら それで十分です
教訓
ダンボールは優れた断熱材
普段から 酒屋 スーパー等ダンボールがあるところをチェック!
ろうそくは 一番太いものを用意する事
懐中電灯と違って ろうそくの明かりは 暖かい炎です
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